現在意識と潜在意識- 現在意識と潜在意識 -われわれの心は、現在意識と潜在意識の二つに分れている。 潜在意識の中心にわれわれの本当の自分、神の子の意識がある。 現在意識は五官によって外界のことを認識する心である。 目で見て、きれいであるとか、きれいでないとか、耳で聞いて、いい音だとか、わるい音だとか、その外界の刺激によって働くのが現在意識である。 潜在意識の中には、その人の過去世からの記憶と心の習慣性即ち業と、その人がこの世に生まれてからの記憶と心の習慣性と、その人が心に強く印象したものとがある。 普通は現在意識だけが強く働いて、潜在意識は隠れていて表面化しない。 しかし大事な時になると潜在意識が表面に顔を出してくる。 運命をつくるのは現在意識よりも潜在意識である。 例えば人間は誰しもが幸福になりたいと思い、不幸になりたい人は一人もいない。 「心が運命をつくる」のである。 人は誰しもが「幸福になりたい」と思っているのであるから、心の通りになるのであったら、不幸な人は一人もいないということにならなければならない。 しかし現実には不幸の人も多い。 病気でもそうである。 病気になりたいと思っている人は一人もいないのに、病人はいっぱいいる。 多くの人が不可解に思うのは、「あんなにいい人が、どうしてあんなに不幸なのだろうか」 とか 「あんなに信仰深い人が、どうしていつも病気ばかりしいていられるのだろうか」 という人がいられることである。 だから「神も仏もないのか」ということになる。 これらはみな潜在意繊のせいなのである。 これまで多くの人は、この潜在意識の働きを知らないがために人生がわからなくなってきた。 例えばノイローゼに例をとってみよう。 ノイローゼになる原因に3つある。 1 霊的原因、憑依によって起るノイローゼ 2 心の原因、劣等感、罪悪感等によって起るノイローゼ 3 社会的に無知であることから起るノイローゼ 昭和32、3年頃から、それ以前はなかった新らしい形のノイローゼが出てきた。 これは日本が高度成長の波に乗って、経済的に裕福になるに順って尚一層多く現われるようになった。 それは3のノイローゼである。 大学を卒業して社会人になったが、さて社会人になってみると、一人前の大人としてどうして生きて行ったらよいのか、人生の生き方がわからないというものである。 戦前は、学校で家庭で人間としての生き方、道徳が行なわれていた。 しかし戦後は、家庭教育の責任者である父親が父親としての権威を失い、先生達はまた道徳教育をする程の指導カを持たない。 唯、いかにして学科の勉強をさせるかということに終始し、進学がそれに拍車を掛け、父親が権威を失って家庭に放ける教育権を放棄したのに代って母親が家庭の主導権を握り、子供を甘やかしてしまった結果、勉強はよく出来るが社会人としては欠陥人間である、無知であるという人間がつくられてきたということである。 このようなノイローゼは、人間としての生き方を教えればよいということになる。 霊的原困も結局は心が暗くて憑依霊、地獄霊と波長が合ってしまったのだから、やはり心が原因である。 |